2022年07月28日

暮らしをまわす

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定年を迎え、週4日の勤務となって1年が過ぎて、いろいろと変化はあるのですが、いい感じで暮らしていけている実感が日々増えています。

小さな庭にぎちぎちに木々が植わっていて、それは木々たちにもたいそうストレスを強いているかもとも思いつつ皆、それなりにがんばってくれています。

春の梅の花と梅の実の収穫に始まり、梅ジャムや梅ジュースや、柿の若葉からの柿茶作り、ハナミズキを楽しんで牡丹の花がいきなり咲いた後は、ベランダでのプランター野菜や大葉、バジル、レモングラス、ローズマリーの世話をしてそれらの収穫です。

毎日の水やりと時々肥料を添えて、日々、プチトマト、茄子、ピーマン、小ぶりながら美味しく食べてます。自分でも上手になったと思うのは、無尽蔵に生える大葉とバジルの使い方です。

ずっと、枯らしたり収穫しても使いきれずに腐らせたり、なんで上手くいかないのだろうと自分の不器用さを呪っていましたが・・・いやどうしてどうして。やっとうまく回るようになりました。

大葉は美味しい若い葉のところを朝収穫して、冷蔵庫に保存してその日の晩に10枚くらいまとめて刻んでサラダや冷うどんの薬味やさしみの付け合わせに毎日毎日使う。炒め物にも入れる。五目寿司にも和える。とにかく、食べきり新しいものをまた収穫する。バジルもトマトサラダにチーズと合わせて玉ねぎドレッシングで食べる。どんどんなくなる。・・・快感。

枯らすことも、腐らせて捨てることもほぼなくなりました。

レモングラスも柿茶も、毎日水出しにして水筒に入れ、職場に持っていっています。無くなる頃に、レモングラスがまた伸びて、収穫して干してお茶へ・・・お店で購入しなくなりました。もちろん無農薬。

何だろう。単に今まで忙しかったのか、家事に気が入っていなかったのか、いつも空回りで苦しかったのですが、今、少しずつ息がつけて、幸せな気持ちが増えて、結果、うまく暮らしが回りつつあるのが感じられます。
いや、うまく回っているから幸せを感じるのかもしれません。

どっちでもいいのですが。

素直に楽しい。おおむねイメージ通りにいくから嬉しい。その結果、家族に喜んでもらえるから、尚嬉しい。嬉しいからもっと続けようと思う。

父が亡くなって半年と、前回のブログで書きましたが、父に朝と晩と挨拶する事も日常になって、不思議と生前よりも何となく近く感じる事が増えました。

うん。もろもろ、おかげさまです。

明日の新月、気持ちも新たに一日を始めたいと思います。
posted by ほぎ at 22:22| Comment(0) | 日常

2022年07月12日

半年が過ぎました

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急に雨が戻って来てくれました。梅雨の再開ですね。本当にありがたいことです。

このまま酷暑の夏に突入したら、プランターの野菜共々干からびてしまいそうでした。

職場のバイトの高校生に、私の小学校時代は30℃がマックスだった話をすると驚かれます。30℃で十分真夏の雰囲気はあって、麦わら帽子に虫取り網、スイカに海辺にプールにひまわり、あぁ懐かしや・・・

ところで、年末に父が逝去してから半年が過ぎました。

一番身近で堪えたのは、父の新しい写真が増えないこと。通っていた施設や病院では、お見舞いに行くたびに必ず写真を撮っていましたが、あぁそうか。もう新しい写真が増えることはないのだと気が付きました。遅まきながら。

思い出が増えないし、更新されない。完結した本のように、読み返して思い出をたどることしかできない。

そうなんだ、生きているってことは、記憶の更新が出来ることなのだと。

生前の写真を振り返り、この時は寒かった、きげんがよかった、笑っていた、ムシの居所がよくなかったのかぷりぷりしていたなど、思い起こすことが、家族に出来ること。それも、日々の生活や片付けやいろいろ整ってくるといよいよ遠くなっていく。

法事は、その心を落とし込む機会となるのだと感じます。

無宗教で葬儀をしたので、こちとらいろいろと自前で思案しないとなりません。

月命日をお寿司の日として、必ずその日は祭壇の前でお寿司をいただきます。わるくないです。
親戚からは、お盆用の提灯が届きました。にぎやかになってなかなかいい感じです。

少しずつ少しずつ、父のいない日常が重なって、それが慣れて自然な状態になっていく過渡期です。

お墓のことも思案中です。

先日ふと、やはり海がいいかなぁ・・・と。

散骨です。

ものすごい量の魚介類を93年かけて食べてきていた父です。はい、お寿司の魚です。

今度は海に戻って魚のえさとなり、10年かけて黒潮に乗って世界を巡るのも一興です。

落としどころを家族で探っています。

父は変わらぬ笑顔でこちらを見ています。

毎朝の水を代えてからのお参りも、習慣化しました。

6ヶ月。

明後日は、満月スーパームーン。

父を偲びながら祈ることとしましょう。

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posted by ほぎ at 20:54| Comment(0) | 日常

2022年06月28日

梅雨明け

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夏越の大祓の時期です。皆さまごきげんよう。

前回の投稿から2ヶ月近くが過ぎようとしています。アッと言う間の時間でしたが、おかげさまで元気にしています。

至福の5月の旅は、しばし熟成してからアップ出来たらと思います。水と龍神様を巡る旅となり、本当に幸せな時間でした。ありがたいことでした。茅野、越生、宮古島、伊豆高原、奈良の神々に感謝申し上げます。

さて、そうこうしている内にしっとり梅雨が明けてしまいました。

ここ埼玉は・・・死にそうに暑いです。暑いと言うより、「熱い」。

もうしばらく楽しめると思っていた梅雨があっけなく終わってしまい、オーマイガッ!

という訳で、猛暑の夏が始まりました。

私の幼い頃の夏は、「30℃」がマックスでした。

だから、ぬるいプールも、キュウリやナス、トウモロコシの毎日の夏野菜のごはん、空に浮かぶ入道雲もミンミンゼミも何だか今思えば、ひどく牧歌的な風景に感じられます。

普通に連日の37℃って、体温越えてますね。これでは昔の智慧が役に立たないし、まさにこの状況に適応していく今こそが、進化の最前線です。

ひょっとして使われていない脳のある部分で、ずっと眠っていた機能がこの酷暑で目覚めるかもしれない・・・

例えば、体をより冷やす自家製メンソールの汗をかいたり、ヤバイ暑さの中にいたら、足の筋肉が意志とは関係なく自動的に安全な日陰に避難すると。

または、人々が昼に異様に眠くなってまったく仕事が出来ない。その結果、涼しい朝方6時から、そして夕方4時から夜にかけて仕事するようになったりして。
必然的に昼の猛暑の時は、ひたすら昼寝。爆睡。避難とエネルギーチャージ。

以前旅した、沖縄の波照間島の一日がそんな風でした。島の人は昼は誰も動いておらず在宅。動いているのは観光客だけで、結果、はしゃぎすぎて日焼けして日射病で火ぶくれになって病院に担ぎ込まれるとか。

あの暑さは皮膚が覚えています。暑い、よりも、熱く、痛かったです。

観光客の私は少しの時間だけ、長そで長ズボンで防備して泳いで無事でしたが、帰宅した宿では女将さんが床に転がって昼寝をしていました。寝ながら団扇が揺れていました。

その気候の暮らしがあるものだとしみじみ実感しました。

さて、どうぞ皆様、熱中症に十分気を付けて水分とって、健やかにごきげんに過ごしましょう。

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posted by ほぎ at 10:28| Comment(0) | 日記

2022年05月01日

「いつか」がやって来た

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ずっとずっと、ドキドキすることを、胸ときめくことを、いいな!と感じることを、これは・・と感嘆することに出会い、体験する度に、その時には齧ったり、ちょっと味わったりと出来る限りのことをして、あとは「いつか。時期が来たらやろう」と箱にしまっておいたもの達がある。いくつもいくつもある。

それらの本を読もう、集めた資料を理解しよう、上っ面を流すのではなく時間をかけてじっくり読み込もう、描こう、書こう、映像を観よう、音を聴こう、そう、時間が出来たら、余裕が出来たら、この状況がおさまったら、やろう、ぜひやろう。
今は、忙しいし日々に追われているので余裕がない。その「いつか」を楽しみ楽しみに待とう・・・

そう思っていたのだ。

ずっとずっと・・・

先日、ふと思い立って長野の御射鹿池に赴いた。
東山魁夷画伯の「緑響く」の絵のモデルとなった池であり、長年にわたっていつか行きたい、まだタイミングが来ていないと先送りをしていた場所であった。
その場に立ち、雪解け水の清冽な流れ、滔々とひたすら迷うことなくしぶきを上げて池に流れ込む様を真近に見て、滞っていた心と身体が解き放たれるような心地がした。
いろいろと流れ出たものがたいそうあった。こんなにあったのか、と思うほど、溜めていたのだ。

そして、はた、と気が付いた。

定年退職、時間的な余裕、ふっと空く間、目の前に積み上げられた「いつかやろう」のモノたちの山、山、山・・・この一年は、自分なりの今までを振り返って楽しみ、これからの自分を想像してワクワクしていた。やっとそのお祭りが終わったのだ。
そして、それらが急に語り掛けてくるような気配がして感じた。

そう。時は来ていた。

「いつかやろう」のいつかは、今、来ていたのだ。

その事にやっと気が付いたのだった。

うかつ。

いや、そうではないだろう。きっとこれがベストタイミング。

じんわりと胸が熱い。
まずは、整理したい、やり散らかしたこと、振り向かずにやってきたこと、これからの30年でやりたいことを。

もう、「いつかやろう」の箱は開いてしまったのだ。


さ。行こうか。

追伸)この後、地元の龍脈を散策する機会を持ち、その後2年ぶりの宮古島の海と大地と水の気を充分に身の内にいただき、来週は伊豆の断食の会に行って、その後は奈良の水の神様にお参りに行く予定です。やってきたことを繋げていく旅、一段深くなった旅が続きます。ありがたいことです。はい。
posted by ほぎ at 21:16| Comment(0) | 日常

2022年04月16日

野性と出会う

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先日、朝の8時過ぎのことです。

いつもより早めに神社に到着し、境内に足を踏み入れた時、ふいに建物のかげから大きな犬が現れました。
前方10メートル程の距離で、飼い主はこの犬をどう制御しているのだろう、と思うほどの大型犬。して、その飼い主はどこにいるのだろうなどと考えている内に、その‘犬’は私に向かって軽やかに歩いてきて、右斜め前で立ち止まりました。手を延ばせは触れる距離です。

その‘犬’は角がありました。そして、目線が私と同じ高さでした。

何か感じていた違和感の正体が、やっとわかりました。


これは・・・犬じゃない。


カモシカ、でした。


さぁ・・・どうしよう。
今までにない経験。野性の生き物。奈良公園の人馴れした鹿ではない。
どうしたらいい。じっと見つめてみるが、向こうは不思議な目をしているので目線は合わず(後で聞いたところによると、広角目線で確実に私と目は合っていたとか)。怒らせたら怖いし、角で刺されたら痛かろうとかくだらない事しか思い浮かばない・・・

そうだ!思い切って最近皆に使っている挨拶をしてみよう、と言ってみる。

「ごきげんよう」

・・・見事、反応なしのスルー。やはり駄目か。
すると、背後の道路でスピードを上げた車が走り抜けた音に驚き、カモシカは踵を返して建物のかげに消えていきました。慌てて追ってみましたが、すでに姿はなく、近くの山に帰って行ったようでした。

この間、おそらく数分の出来事でした。

不思議な不思議な時間でした。ひとしきり出会いの驚きを同僚に話して気が済みましたが、面白かったのはその後のことです。

私のその記憶が、ふっと飛びます。
翌日には、カモシカとの出会いが本当にあった事なのかがすでに曖昧になりはじめ、まるで夢の中の出来事であったかのような感覚でした。翌々日にはまるで遠い想い出のような感じです。
日常の中で、「野性」と言う、未知の、私たちの暮らしと遠い存在を落とし込む場所と言おうか空間が、私の中にはないのではないかとも感じました。または、閉じているか、眠っているとか。

それでも、この出会いは偶然じゃない。

まるで、映画『もののけ姫』のシシ神様のような表情。笑っているような不思議な表情に、掴みどころのない目線。

私の中の「野性」、目覚めよ、とか。

生まれ変わって(還暦)まもなく一年になろうとしています。カモシカが連れて来てくれたこれからの流れが、うんと楽しみです。

追伸)写真は境内のネコです。半分野性です。

満月「月の祈りの会」のお知らせ三日月

明日は満月です。明日の夜10時、夜空を見上げて祈りの時間を過ごしませんか。月の祈りの会、もしご一緒出来たら嬉しいです。その時間にそれぞれの場でゆったり過ごしましょう。

満月満月と新月をただただお知らせするこの活動も17年目となり、まだまだしつこく続きます。よかったらお仲間になりませんか?→「満月&新月 祈りの神殿」
posted by ほぎ at 21:51| Comment(0) | 日記